金魚鉢

水槽のなかみです

一人交換日記を読んで

 

永田カビ先生の一人交換日記を読んだので感想、ではなく思ったこと

 

とりあえずひとつ目、わたしも寂しすぎて寒くなることあります。

と言ってもカビ先生ほど長引くわけではなくてそれはふっと夜中に訪れて大抵寒すぎてガタガタして寝て朝になって寂しくなくなると治ります。

 

なんていうかもうこれはどうしようもないのかな〜嫌だな〜と思うんだけど、わたしはわたしを愛せなすぎて他人への要求レベルがすごく高い。

でも誰にでも要求したら周りの人がいなくなるのもわかっていて結果として恋人に全部のしかかるわけなんだけども、それが重すぎて大抵のひとは潰れる。潰れないひとはわたしのことを真摯に見てくれてないか、異様なくらい許容範囲が広いかどちらかしかない。

 

寂しいからつらいから苦しいからを言い訳にして他人の優しさとか好意を食い潰してはいけないとちゃんとわかっているのにわかってないところが本当にだめだと思う。

ていうか本当自分の嫌なところばっかり知ってるし考えてるから自己肯定感がなくてこういうことになってるってこともわかってるのにここはだめあれもだめがやめられないところだめ!!

 

わたしは前の旦那といたとき生活に余裕がなくて寂しいみたいな自分の感情と向き合う時間がなかったことで楽だったけどそれはそれでなんていうか精神に余裕がなかった。

あと頑張れる自分の範囲を大幅に超えてた。

一人交換日記のなかで、自分の限界を超えて無理した分は利子付きで未来の自分が払う羽目になるということが書かれていたんだけど今まさにわたしは利子を払っています。つらい。

何をしててもどこか満たされないし基本的につらいし苦しいし寂しいしなんかもうつらい、全体的につらい。数年やめてた自傷をするくらいつらい。あとフランクに自殺未遂するくらいつらい。未遂を繰り返してるうちに死ぬんだろうなと思いながらODしても首吊っても車に撥ねられても生きてます。人間は図太い。

あと最近爪噛んだり唇の皮はいだり指の皮剥いたり髪の毛抜くのも自傷って知りました。コンプリートしてた。

 

寂しいから愛されたいと思うんだけど、愛してないと愛されても寂しいということにわたしも長年気付けずにいました。

昔のわたしはとにかく誰でもいいから付き合ってたしおかげで彼氏が途切れることはほとんどなかったんだけど常に寂しくて自分が生きてることを誰かに許されたい本当は生きていてはいけないのではないかという強迫観念に駆られていました。

愛してないんだから当然満たされないのにひとりで足りないなら他も足せばいいのではとかあほなこと考えてワンナイトを繰り返したりしてた。いま、本当にいま考えたらそんなわけねーだろあほかよって感じなんだけども。

あとたぶん浮気するのも自傷だと思う。天性の浮気性だったらたぶんずっとしてると思うんだけどわたしが浮気するのすごいつらいときだけだから。これで嫌われたら死のうとか罵倒されて自分に相応しく傷付きたいとかそういうこと考えてる気がする。気がするだけなのはやってるときは精神的にあっぷあっぷしてるから考える余裕がないからです。

 

なんで愛してなくちゃ愛されても満たされないんだろう。

わからないけど、たぶん心の器があったなら自分が望んでるのは砂糖なのにそこに味の素注ぎ込まれてる感じ。もしくは違う器に入ってく感じ。

 

好きなひとってすごいんだよ、連絡がきただけでほわってするし手繋いだらぽかぽかするしぎゅってしたらなんかじわーってなる。

このじわーが愛し愛されてることによる承認欲求の充足感なんだと思う。なんでかはわからない。でもすごい。

 

人はたぶん自分を埋めるのに仕事で得られる達成感とか色んなものがあるんだと思うんだけどわたしは寂しさとかつらさを埋めるのが恋人からの愛情しかなくてそこが現状一番だめだと思う。

もっと自分で行動して自分で自分を認めてあげられるようにならないと恋人の負担がすごくてそのうち破綻してしまう気がする。こわい。

 

わたしも自立したい。